2017年10月19日

一首鑑賞:横山未来子「ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを」

ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを聴きをり小さき部屋に
横山未来子『午後の蝶:短歌日記2014』


 『午後の蝶:短歌日記2014』は【ふらんす堂】のホームページに2014年の一年間に掲載された、一日一首の横山の短歌とそれに添えた一言二言の文をまとめた日記型の歌集である。掲出歌は10月9日付けの歌で、次の小文が付されている。

  昨日は「三浦綾子読書会短歌部門」の日だった。参加者は私も含めて七人。テキストは、小説『ひつじが丘』。約二十年ぶりに読んだが、ストーリー展開がドラマチックで引き込まれた。

 読書会には、クリスチャンが多く参加していただろう。会の初めに、今回欠席したメンバーのためとりなしの祈りをしたのではと思われる。あるいは、義の道に餓え乾き三浦綾子の本に手が伸びた、名前も顔も知らぬ誰かのためにも祈ったのかもしれない。私達が信仰へと導かれ、また守られていく陰には、実はそうした祈りの支えがある。
 『ひつじが丘』では、牧師夫妻の娘である主人公が親の反対を押し切って、身持ちのあまり良くない画家の男の許へと駆け付け、その後どうなっていくかの顛末が綴られる。家出以来実家に何の音沙汰もなかった彼女がいつか帰ってくることもあろうと、両親は夜中も施錠せず娘の帰りを待ちわびた。その間おそらく毎夜、夫婦は娘のため、そして娘の夫となった男性のために祈り続けた筈だが、小説中に直接は描写されていない。
 二年四ヶ月後、娘はあるきっかけで二人住まいを抜け出し、夜中に実家へ帰り着く。日頃の憔悴から泥のように眠った主人公が明くる日の昼近くに目覚めると、教会を忌避していた夫が彼女を追って家に来ていた。不摂生がたたって血を吐いた彼は、牧師夫妻のお世話を受けるようになる。そうして居候しながらも彼は一度も教会堂に足を踏み入れることはなかった。けれど、牧師夫婦の温かさに触れて暮らすうちに、アルコールも断ち、いつしか心の毒気も清められていく。クリスマスイヴの夜、以前の女性関係を清算するために出かけた彼は、帰り道に凍死という形で息絶える。イヴに主人公に贈ろうと彼がコツコツ制作していた絵は、十字架上のイエスと主を見上げる彼自身を描いたものだった――。

 横山らが読書会の席で実際に祈ったことを私は先に想像した。だがこうして『ひつじが丘』の筋を辿ると、牧師夫婦が主人公の家出以降、またその夫君と思いがけず共に暮らすようになってからも、続けて彼のために祈ってきた声を、会の小部屋にありありと「聴いた」のだと取ることも可能だろう。
 とりなしの祈りをしながら、私達は雲を摑むような思いに捕われることがある。そんな時でも「主は、従う人に目を注ぎ助けを求める叫びに耳を傾けてくださる」(詩編34編16節)という主の約束を覚えつつ歩んで行けたらと願う。

文責 Y.K.  
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2017年10月15日

礼拝説教2017年10月15日「神による恵み」

「神による恵み」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 ヨシュア記6章1~20節
◎新約聖書 ヘブライ人への手紙11章17〜22節、29〜31節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2017年10月01日

世界聖餐日礼拝説教2017年10月1日「パンを食べ、杯を飲む」

「パンを食べ、杯を飲む」(小島仰太牧師)=世界聖餐日・世界宣教の日=
◎旧約聖書 出エジプト記12章43~50節
◎新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 11章23〜26節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2017年09月17日

礼拝説教2017年9月17日「十字架のもとに一つとなる」

「十字架のもとに一つとなる」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 エゼキエル書37章15~28節
◎新約聖書 コリントの信徒への手紙1章10〜17節

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2017年08月27日

礼拝説教2017年8月27日「仕え合う生活」

「仕え合う生活」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 創世記24章62~67節
◎新約聖書 コロサイの信徒への手紙3章18節〜4章1節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2017年08月13日

礼拝説教2017年8月13日「神の囚人」

「神の囚人」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 ヨナ書3章1~5節
◎新約聖書 使徒言行録9章26〜31節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2017年07月30日

礼拝説教2017年7月30日「突き抜けた愛」

「突き抜けた愛」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 創世記21章9~21節
◎新約聖書 ローマの信徒への手紙9章19〜28節

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2017年07月23日

礼拝説教2017年7月23日「罪の告白」◆

「罪の告白」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 エレミヤ書7章1~7節
◎新約聖書 使徒言行録19章13〜20節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2017年07月20日

一首鑑賞:前川佐美雄「声もこそせねわれをささふる」

いくたりか身近にひとら死にゆきて声もこそせねわれをささふる
前川佐美雄『天平雲』


 前川は特にキリスト教の信仰を持っていたわけではないようだが、『捜神』という歌集も出しており、広い意味では「求道者」のうちに数えられるであろう。故郷の自然の風物の背後にあるものを感じ取りながら、多くの歌を編み出していった。首掲の歌もそうした系譜に連なるものと言えよう。
 2015年度から韮崎教会では、昇天者を憶えて祈祷を捧げるようになった。私は初めこれをどう受け止めたら良いか分からず、その戸惑いをFEBCラジオの聖書通信講座のメールの中で触れた。すると係の方は、「私たちがこの地上でささげている礼拝は、やがて天でささげる礼拝の先取りです。礼拝の中で昇天者を憶えて祈るということは、単にご遺族への慰めというだけではなく、いえそれ以上に、やがて復活の日にささげる礼拝、その時にはすでに召された方々も復活して共に主イエスを礼拝することを憶える意味があるのではないでしょうか」とお返事くださり、私はその時ようやくストンと腑に落ちたのだった。
 前川のこの歌に似た心情を、故・高岡伸作牧師も「掌詩」として記している。二編ほど引く。

    先に逝った者と
    過ごすことが
    多くなった
    急がなくていい
    温もりのひと刻(とき)


    一人でいると
    ふと傍に
    来てくれている
    彼ら逝きし者の
    穏やかな友情


 最近は私自身も人生の折り返し地点といった年齢になり、以前より自分の先々の見通しが利くようになってきたと感じる。そのこともあるからだろう、いずれ自分も天に召されれば、母教会の時の友達と会えるのだろうかとか、韮崎教会に転入会して間もなくの頃は親しい交わりがありながら後に少し距離ができたまま先に逝かれたNさんと、また話せるのだろうかとか、時折つらつらと考える。そればかりでなく、今まで直接話したことのない信徒や、時代の異なる信仰の先達にも天で顔を合わせ、主を共に礼拝する恵みが与えられていると思うことは、この地上の生活においても大きな慰めである。

文責 Y.K.  
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2017年07月09日

礼拝説教2017年7月9日「皆で一緒に生きる」

「皆で一緒に生きる」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 イザヤ書49章14~21節
◎新約聖書 使徒言行録4章32〜37節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 15:43| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする