2018年01月14日

礼拝説教2018年1月14日「福音の初め」

「福音の初め」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 出エジプト記14章15~22節
◎新約聖書 マルコによる福音書1章9〜11節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 13:07| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

礼拝説教2017年12月31日「世界の王」

「世界の王」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 イザヤ書49章7~13節
◎新約聖書 マタイによる福音書2章1〜12節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 13:16| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年12月24日

クリスマス礼拝説教2017年12月24日「メリー・クリスマス!」

「メリー・クリスマス!」(小島仰太牧師)=クリスマス礼拝=
◎旧約聖書 サムエル記上2章1~10節
◎新約聖書 ルカによる福音書1章39〜56節

posted by 韮崎教会 at 15:01| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

礼拝説教2017年12月17日「救いは近い」

「救いは近い」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 イザヤ書40章1~11節
◎新約聖書 マルコによる福音書1章1〜8節

posted by 韮崎教会 at 13:44| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

礼拝説教2017年12月10日「神に聴き、従う」

「神に聴き、従う」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 エレミヤ書36章1~10節
◎新約聖書 マルコによる福音書7章1〜13節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 16:51| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年12月03日

礼拝説教2017年12月3日「救いを見極める」

「救いを見極める」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 イザヤ書51章4~11節
◎新約聖書 マルコによる福音書13章21〜37節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 13:27| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

礼拝説教2017年11月19日「不滅の言葉」

「不滅の言葉」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 出エジプト記6章2~13節
◎新約聖書 マルコによる福音書13章5〜13節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 15:01| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

礼拝説教2017年11月12日「アッバ、父よ」

「アッバ、父よ」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 申命記6章4~19節
◎新約聖書 ローマの信徒への手紙8章14〜16節

posted by 韮崎教会 at 16:27| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

永眠者記念礼拝説教2017年10月29日「“時”を生き続ける」

「“時”を生き続ける」(小島仰太牧師)=永眠者記念礼拝=
◎旧約聖書 コヘレトの言葉3章1~8節
◎新約聖書 テサロニケの信徒への手紙 一 4章13〜14節

posted by 韮崎教会 at 13:03| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

一首鑑賞:横山未来子「ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを」

ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを聴きをり小さき部屋に
横山未来子『午後の蝶:短歌日記2014』


 『午後の蝶:短歌日記2014』は【ふらんす堂】のホームページに2014年の一年間に掲載された、一日一首の横山の短歌とそれに添えた一言二言の文をまとめた日記型の歌集である。掲出歌は10月9日付けの歌で、次の小文が付されている。

  昨日は「三浦綾子読書会短歌部門」の日だった。参加者は私も含めて七人。テキストは、小説『ひつじが丘』。約二十年ぶりに読んだが、ストーリー展開がドラマチックで引き込まれた。

 読書会には、クリスチャンが多く参加していただろう。会の初めに、今回欠席したメンバーのためとりなしの祈りをしたのではと思われる。あるいは、義の道に餓え乾き三浦綾子の本に手が伸びた、名前も顔も知らぬ誰かのためにも祈ったのかもしれない。私達が信仰へと導かれ、また守られていく陰には、実はそうした祈りの支えがある。
 『ひつじが丘』では、牧師夫妻の娘である主人公が親の反対を押し切って、身持ちのあまり良くない画家の男の許へと駆け付け、その後どうなっていくかの顛末が綴られる。家出以来実家に何の音沙汰もなかった彼女がいつか帰ってくることもあろうと、両親は夜中も施錠せず娘の帰りを待ちわびた。その間おそらく毎夜、夫婦は娘のため、そして娘の夫となった男性のために祈り続けた筈だが、小説中に直接は描写されていない。
 二年四ヶ月後、娘はあるきっかけで二人住まいを抜け出し、夜中に実家へ帰り着く。日頃の憔悴から泥のように眠った主人公が明くる日の昼近くに目覚めると、教会を忌避していた夫が彼女を追って家に来ていた。不摂生がたたって血を吐いた彼は、牧師夫妻のお世話を受けるようになる。そうして居候しながらも彼は一度も教会堂に足を踏み入れることはなかった。けれど、牧師夫婦の温かさに触れて暮らすうちに、アルコールも断ち、いつしか心の毒気も清められていく。クリスマスイヴの夜、以前の女性関係を清算するために出かけた彼は、帰り道に凍死という形で息絶える。イヴに主人公に贈ろうと彼がコツコツ制作していた絵は、十字架上のイエスと主を見上げる彼自身を描いたものだった――。

 横山らが読書会の席で実際に祈ったことを私は先に想像した。だがこうして『ひつじが丘』の筋を辿ると、牧師夫婦が主人公の家出以降、またその夫君と思いがけず共に暮らすようになってからも、続けて彼のために祈ってきた声を、会の小部屋にありありと「聴いた」のだと取ることも可能だろう。
 とりなしの祈りをしながら、私達は雲を摑むような思いに捕われることがある。そんな時でも「主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる」(詩編34編16節)という主の約束を覚えつつ歩んで行けたらと願う。

文責 Y.K.  
posted by 韮崎教会 at 17:04| 一首鑑賞 | 更新情報をチェックする