2014年07月24日

一首鑑賞:大口玲子の祈りの歌

記されし祈りの言葉呟きて祈りに似たることをわがしつ
大口玲子『トリサンナイタ』

 目に見えない神様に祈ることはたやすいことではない。まして、それを人が聞いているならば…。
 クリスチャンになって間もない大学生の頃、キャンパスで持たれた小さな祈り会で 私は他のクリスチャンの目を気にし過ぎてプレッシャーに感じ、祈りにおいて神様に怒りをぶつけてしまうということをたびたびやらかして、皆を心配させた。けれど、そうした「逆ギレの祈り」を神様が受け止めてくださったとわかったことで、却って信仰が強められていった。
 そうは言っても、今でも人前での祈りは苦手である。教会で年に一回、献金時のお祈り当番が回ってくるが、礼拝の間中お祈りの文言を考えていて、説教も半ば上の空で聞いている有様である。
ルカによる福音書11章に、弟子の一人が「祈りを教えてください」とイエスにお願いするシーンが出てくる。そして教えられた祈りが、現在 広く唱えられている「主の祈り」である。いざ祈る必要に迫られた時しどろもどろになってしまう私達に、ある定まった祈りの言葉を与えてくださったイエス様の懐の広さにただ感謝するほかない。
  大口が為したという「記されし祈りの言葉」は、「主の祈り」であろう。礼拝中か、それとも日常生活の中においてかは分からないが、ざわざわと落ち着かない気持ちで 取る物もとりあえず呟くのに、主の祈りは道筋をつけてくださる。

 FEBCラジオで昨年9月より、毎週木曜日に金田聖治先生の『愚直な道』という番組が放送されている。金田先生の祈りは朴訥だ。ある週の番組では、嬰児が泣いて親を呼び求めるような祈りを、私達は神様にして構わないのだとおっしゃり、お話の結びに次のような祈りをされた。

「お父ちゃん!
あん あん あん あん あん あん あん あん、あん あん あん あん。
あん あん あん あん あん あん あん あん、あん あん あん あん。
主イエスのお名前によって祈ります。アーメン」

祈りとは、このように自由なものなのかと感銘を受けた瞬間であった。

ただわれをまねて両手を合はする子その祈り深からむわれよりも/大口玲子

文責:Y.K.  
posted by 韮崎教会 at 05:52| 一首鑑賞 | 更新情報をチェックする