2017年04月28日

一首鑑賞:河野裕子「食べたくなくて料理本二冊がほどを」

食べられず食べたくなくて料理本二冊がほどを寝ころび眺む
河野裕子『蟬声』


 河野裕子は2010年夏、乳がんの闘病の末、逝去した。享年64。早すぎる死を多くの人が悼んだ。河野は生前、研究者の夫を支える主婦として台所に立っていた。それゆえ厨歌(くりやうた)や食にまつわる歌を幾つも詠んでいる。遺歌集として刊行された『蟬声』においてもそれは例外でない。掲出歌の他にも少し引く。

  食欲ももはや戻らぬ身となれど桶いつぱいの赤飯を炊く
  食へざる苦、誰にもわからねば歯をみがき眠るほかなし 眠る
  砂丘産小粒らつきようの歯ざはりをしばらく思ひ長く瞑目
  もう一度厨に立ちたし色とはぎれよき茄子の辛子あへを作りたし


 私事だが、私の父は食道がんで亡くなった。癌が発見された時には食道の入り口がかなり狭まっていて、一般的なサイズの内視鏡が入っていかず細径のスコープで検査されたが、それでも戻してしまう程だった。手術するには病状が進行しており、抗癌剤と放射線治療が施された。二、三度入院して治療したが、家で療養している期間もあった。そんなある日の未明、私がトイレに起きると父は居間でテレビを観ていた。画面には美味しそうなご馳走が大写しになっていた。父の食事は既に流動食のみ。私は、食べられないのにそんな番組を観たら辛いだけだろうに…とその時は思ったものだ。
 河野の遺歌集を私が手にしたのは、それから四年ほど経過した頃のこと。食べられない痛苦が率直に詠いあげられていて、虚をつかれた。そして、食べることはただ腹を満たすだけでなく、食べものを噛み砕く歯触り、飲み込むときの喉が鳴る感じなど、一つ一つの過程に喜びがあるのだとも思い知らされた。
 旧約聖書のコヘレトの言葉3章12~13節に次のように書いてある。「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と」。
 父を見送って半年後、私自身も乳がんが見つかり、手術、抗癌剤、放射線治療…と怒濤の治療生活へ突入していった。過日晴れて五年目の検査をクリアし、今は経過観察中となった。振り返って、私の命が繋がったのは当然でないことを改めて感じる。そして、飲み食いして満たされることが神の賜物だという御言葉の真実さを思うのである。

文責 Y.K. 
posted by 韮崎教会 at 16:14| 一首鑑賞 | 更新情報をチェックする