2016年10月29日

一首鑑賞:古谷智子と岡井隆のキャロリングの歌

をとこにもをんなにもあらぬ声に子ら歌ふ聖夜灯せる門を巡りて
古谷智子『神の痛みの神学のオブリガート』


 昨年、初めてクリスマスイヴのキャロリングに参加した。イヴ礼拝には以前一度だけ出席したことがあったが、何しろ就寝前に服薬があるという身分、その時は礼拝が終わるや否やそそくさと帰路に就いていた。
 そんな消極的だった私の肩を押すきっかけになったのは、首掲の歌と共に次の一首を目にしたことだ。

声変りしつつある故唱へぬをあはれがるころキャロルは終る/岡井隆『宮殿』

 イヴ礼拝後20分ほどお茶の時間を持ち、それから連れ立って駅へ。到着してみると、何と大人から子どもまで30人近くの顔ぶれがあった。まず「もろびとこぞりて」で元気よくキャロリングを開始。だが、曲が終わっても電車が到着しない。予定よりも電車が遅れていたようで、次の「きよしこの夜」を歌っている最中にそうアナウンスが流れてきた。「きよしこの夜」なんてよく知っている曲と思っていたが、案外アルトのパートが難しい。大所帯のこちらとあちらでだいぶ音程に開きがあるような不協和のハーモニーが響いていて、後半はちょっと歌えなかった。「あらのの果てに」を歌い始めても人影はまばら。「電車来ないねぇ」などと言っていると、私の右隣で歌っていた男の子が「電車過ぎて行っちゃったよ」と一言。そのままでは締まりが悪いため、もう一度「きよしこの夜」を賛美。一人よく通る声の歌の上手い子がいたが、教会学校の親御さんに訊くと、最近教会に来始めた子だという。普段私は教会学校の親子との接触が少ないので、なかなか新鮮だった。とりあえずその場はお開きになって、一行は近所のS病院へ向かった。私はお暇して車を置いてある駐車場へと歩き始めた。その道々、「♪主は来ませり~、主は来ませり~」と歌声が聴こえてきて何ともほのぼのとした気持ちになった。まあ、一番大きかった声の主は牧師だったが(笑)。
 後で聞いた話では、その日のキャロリングはS病院で歌い納めにしたらしいが、過去には病気療養中の信徒のお宅を訪問して歌ったこともあったそうで、それはご本人にもご家族にも心温まるひと時だったようだ。「をとこにもをんなにもあらぬ声」…(昨年のキャロリングに参加した多くの子供達はちょうどそんな年格好だったが)、病に臥せっている方にとって子らの歌声はまさに天使の声のように響いたことだろう。一年前のイヴの夜も、上手く歌えなかったり、色んな雑多な想いを含めながら、キャロルは終わってしまった。でも、心に何かぬくもりを残して過ぎた時間であったことは紛れもない。

文責 Y.K.  
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2016年10月16日

礼拝説教2016年10月16日「生涯現役」

「生涯現役」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 エレミヤ書29章1、4~14節
◎新約聖書 フィリピの信徒への手紙3章7~21節

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2016年10月02日

世界聖餐日礼拝説教2016年10月2日「同じ食卓につく」

「同じ食卓につく」(小島仰太牧師)=世界聖餐日・世界宣教の日=
◎旧約聖書 イザヤ書25章6~9節
◎新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 10章14~22節

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2016年09月25日

礼拝説教2016年9月25日「神の家に住まう」

「神の家に住まう」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 ダニエル書12章1~4節
◎新約聖書 コリントの信徒への手紙 二 5章1~10節

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2016年08月28日

礼拝説教2016年8月28日「揺るがない希望」

「揺るがない希望」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 エレミヤ書28章1~17節
◎新約聖書 ヨハネの手紙 一 5章10節~21節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2016年08月21日

礼拝説教2016年8月21日「生きて働く光」

「生きて働く光」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 出エジプト記13章17~22節
◎新約聖書 エフェソの信徒への手紙5章11~20節

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2016年08月07日

平和聖日礼拝説教2016年8月7日「神のために働く」

「神のために働く」(小島仰太牧師)=平和聖日礼拝=
◎旧約聖書 ヨブ記28章12~28節
◎新約聖書 コリントの信徒への手紙 一 2章11節~3章9節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2016年07月28日

一首鑑賞:小島ゆかり「神は人をあるいは人は神を得しゆゑに」

神は人をあるいは人は神を得しゆゑに苦しからんか 雲よ
小島ゆかり『ヘブライ暦』


 小島は三十代の半ば、先に単身渡米していた夫のもとに子供達を連れて赴いた。『ヘブライ暦』には、東海岸ボルチモア郊外に住んだ二年間に作られた歌が多く収められている。
 歌集題から察せられる通り、ボルチモアでの生活は小島にユダヤ人社会との接触をもたらした。その中で生まれた情感は、戸惑いに類するものが少なくなかったようだ。ユダヤ教徒の友人達の立ち居から見えてくる「イスラエルの神」は、小島にとっては時に理解の及ばないものであったらしく、嘆息のような首掲の一首を詠んでいる。
 神学者の北森嘉蔵は『聖書百話』においてノアの物語に言及する。神は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることがいつも悪い事ばかりであるのを見て、「主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め」たとある(創世記6章5~6節 口語訳)。北森は主著『神の痛みの神学』で、「神の愛が罪への反応として現れるとき、それは神の怒である。しかるに神はこの怒の対象たる我々を愛し給うた。かく怒を克服せる神の愛こそ神の痛みである」と述べ、イエス・キリストの十字架刑は「罪人に死を命じ給うべき神とこの罪人を愛せんとし給う神とが闘った」ことと結論づけている。
 小島の歌に戻ろう。神は人を造り出したために苦しんだ――これは聖書通りの神様の姿である。しかしおそらくは日本の伝統的な価値観の内にいる小島の目には、ユダヤ人を傍から見て「人は神を得しゆゑに苦しからんか」とも映っているのだ。――完全な義の神であるがゆえに我々を見て痛み苦しむ神を、神として仰ぎ見るがゆえに人は苦しむのではないか――。だが、小島の歌は問いかけとも逡巡ともつかぬ形に留められている。それは、「自由や平等や未来や、世界や個人のこと」を真剣に考える機会を与えてくれた、宗教の違う友人達の信仰と暮らしに、豊かさ、まぶしさ、そして幾分の矛盾――を小島が感じたからであろうことが、あとがきから読み取れる。
 果たして私達自身は、神からの喜びを証しする生き方ができているだろうか。

文責:Y.K.  
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2016年07月24日

礼拝説教2016年7月24日「神の栄光を見る」

「神の栄光を見る」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 ヨブ記42章1~6節
◎新約聖書 ヨハネによる福音書11章28〜44節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


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2016年07月17日

礼拝説教2016年7月17日「食べていく」

「食べていく」(小島仰太牧師)
◎旧約聖書 列王記上17章8~16節
◎新約聖書 ローマの信徒への手紙14章10~23節

* 長さの関係で、前半・後半に分けてあります。


posted by 韮崎教会 at 15:23| 礼拝説教 | 更新情報をチェックする